アルケミスト

数あるブログからこれをみつけてくれてありがとう。バックパッカーとして旅立つまでを綴ります。

黒か茶か

価値観を押し付けられることが何より嫌いだ

だから押し付けないようにしたいものである

価値感の違いで分かれたというカップルを多く聞くが、価値観は同じじゃなきゃいけないのか

価値観が合う相手を探し続けるより、お互いが相手のそれを尊重し歩み寄る方が建設的なのではないか

それが苦痛でないほど愛せる相手を選べばいいのだ

 

なぜこんな理想論を垂れ流しているかというと、これはいま自分が直面している問題だからである

例えば、彼女が料理を作れないし作ろうとしない人だったとして、そこに料理を作って欲しいと頼むのはどうなのか

料理は女性が作るものというのは女性が家を守っていた頃の話であって、「主夫」という言葉もあるほど今日では女性の社会進出が進んでいる

つまり料理は女性が作るものという考えは古いうえにセクハラになると思っている

加えて、外食派の人に手料理が食べたいからと言って作らせるのは、上記した価値観の押し付けに近いものがあるのではないだろうか。彼女は作りたくないのだ。

しかし難しいのが、男は女性の手料理が食べたい生き物なのである←

結婚し家庭を持つとしたら尚更だ

奥さんの手料理が食べたいということは悪ではない、だから難しい

解決策はわかっている、二人で作ればいいのだ

そしてたまに外食すればいいのだ

料理をするとかしないというのは、その人の髪が黒とか茶と言っているのと同じである

しかし黒髪の乙女の魅力は四畳半のアパートに住んでいる彼に聞いてみるといい

 

僕の悪い癖だ、なんでも難しく考える

付き合っているのは結婚が目的だからではない

もちろん将来の選択肢として結婚はある

しかし結婚ということの大きさがこの歳になってわかってきた

家族を巻き込むのだ、お互いの人生に深く関わるのだ

この人のためならと腹を切れる覚悟を持ちたい、そう思える相手と添い遂げたい

と、考えるとこの人でいいのかと不安になる

そもそも結婚とはこんなに頭を悩ますものか

もっと盲目になって突っ走るものではないのか

そして結婚しないかもしれないと思うと付き合っている意味について疑問が浮かんでくる

結婚するために付き合っているわけではないと思っているのにだ

そもそも付き合うとはなんだ

もはや体の関係では説明できないことは誰でも知っている

ここに疑問を持つということは、盲目になれないということは、相手の価値観に歩み寄れないかもしれないと感じていることは、そこまで相手を愛せていないからなのか

いつからこんなに難しくなったんだ

一年が経って

このブログを開設して一年が経過した。

なにか変化はあったのだろうか。過去の記事を読み返した。

そして皆さんに誤解を避けるために言わなければならないことに気づいた。

職場や職業に対してネガティブな表現が多すぎる。

実際にはそうではない。いまの職場はソフト面でもハード面でも恵まれている。

希望通り救急に配属となり重症患者への看護を学び、ERでは初期治療やトリアージについて学ばせていただいている。

尊敬できる先輩が何人もいるし、間違いを正してくれる人も多くいる。

そして看護師という職業は素晴らしい。人を救える。

ある患者に言われた。

「君には救われた。」

助けてもらいました。とは時々言われる。しかし救われたと言われたのは初めてだった。

その一言で自身を肯定することができた。

そう、環境は素晴らしい。問題は僕の自己否定的な考え方のみなのだ。

原因はなんだ。大学生の時は自信にあふれていた。目標に向かって努力できた。そして満足のいく結果を残せていた。

このまま辞めてバックパッカーをして、有耶無耶にしていいのか。

仕事を辞めるとかそういうレベルの問題じゃない。人生を通して学ぶべきことが、手の届きそうなところにいる。

バックパッカーをすることでアイデンティティを探し、豊かさや貧困を目の当たりにすることで自身を見直し、運命とか使命とか言われるものと出会えるかもしれない。

でもそれは実生活や困難を乗り越えることで得られるのではないか。

環境を変えても意味がない。変わるのは環境だけなのだ。

金を探すのではなく、鉛を金に変える努力をするべきか。

四葉のクローバーが我々に与えるものとは

皆さんはどんな時に幸せを感じますか

四つ葉のクローバーが幸運を象徴するのは有名な話

誰しも経験があるのではないでしょうか

 

しかし四葉のクローバーの何が幸運を感じさせるのでしょう

高値で売れるわけでもなければ、栄養満点なわけでもない

我々に物理的な利益はもたらしてはくれません

おそらく「四葉のクローバーは幸運の象徴」という考えそのものが幸運を感じさせているのではないでしょうか

 

反対に、「四」は死を連想するから嫌いだし、四葉のクローバーを見ると気分が悪くなる。という人がいても不思議ではないと思います

 

つまり、過去の記事でも触れていますが、僕たちの感情にその事実は関係ないみたいです

現実がどうであれ、それを認知する心がすべてなのですね

 

物事に良いも悪いもない。考え方次第で良くも悪くもなる。

シェイクスピアは言っているし、

希望と絶望は同じものですよね。

と言っていた細美さんの言葉も今なら理解できる

般若心経にも書いてある

 

頭ではわかっているが身につけるには時間がかかりそう

鉛は金に成り得るのだ

生活保護

たまに会う生活保護受給者

今日もそうだった

その人はアル中で手の震えがとまらない

考えてみれば、税金で酒を飲み、中毒になり、税金で入院したわけだ

汗水流して税金を納めている身としてはやるせない

でも違った

その人は派遣切りにあった、多くの仲間と共に

その仲間たちは次々に電車に飛び込んでいった

それを忘れるために酒を飲んだという

ほんとうに吐きそうになった

それをさせている社会とか世の中の仕組み、おかしくはないか

ここは日本ですよ、憲法25条はどこにいったんですか

そうやって闇に葬られていく人がいるなんて考えたこともなかった

ここは日本ですよ、世界に誇る道徳観はどこにいったんですか

僕自身、生活保護受給者に偏見がある

でも生活保護っていうのはただの形容詞であって、ただそれだけのことなんですよね

人の扱いをされてきたんだろうか、非難されるのはこっちなのだ

生存競争に負けたものは淘汰されていくべきだと思っている、そういう作りになっている

でもそれに逆らってまで共生しようとする人間って興味深い

加えて、生存競争について、僕はまだ勘違いしている

晩秋、おじいちゃん

京都市内にある将棋道場に遊びに行ってきた。

アマ三段、四段がゴロゴロいる道場でアマ二段の僕は歯が立たなかった。

日が暮れだすと強豪勢はそそくさと帰っていき、自分も帰る雰囲気になっていた。

するとそのおじいちゃんが声をかけてくれた。

「一局やろう。」

もう既に二人しか残っていなかった。

初段のおじいちゃんは僕のことをあれこれ聞きながら相手をしてくれた。

「もう一局やろう。」

「もう一局。時間はええか?」

何回やってもおじいちゃんは僕に勝てなかった。

「お兄ちゃんここ初めてやろ?もっと指したいんちゃう?」

優しいなぁ。

結局僕が満足するまで相手してくれた。

 

帰り道は真逆だった。

「バスでも帰れるから!」と言われ一緒に帰ることに。

「京都駅まで230円やから。」と言って手の平に500円玉を押し付けてくる。

最初は丁重にお断りしていたが最後の方には取っ組み合いみたいになっていた。

はたから見れば高齢者虐待だ。

 

やはり職業柄、体のことが気になる。

実はおじいちゃんには癌があった。手術をしていまは抗がん剤で治療中らしい。

その副作用で手がしびれ、コップも持てないことがある。

「毎日あそこにいるよ。」

おじいちゃんはある意味命懸けで将棋をしていた。

なんか、やるせなかった。

そしてまた明日会えるからと言わんばかりに、振り返ることもせずにバスに乗り込んでいった。

その日はめちゃくちゃ寒くて、おじいちゃんのその痩せた体が痛々しかった。

色々考えた一日でした。

メモ

こんなものを書いている場合ではないけど、忘れたくないことがあるから書き留めておこう。

バックパッカーをやる理由はアイデンティティの確立。

アイデンティティを求めるようになったのは、看護師になってから自分の不甲斐なさから、自分とは?という疑問が生じたから。

でも最近になってできることが増えてきて、現状に満足しつつある自分がいる。このまま頑張れそうだと思う自分が顔を出す。

そうするとアイデンティティについて問うことがなくなってきた。

前にも書いたかもしれないけどバックパッカーをしたいのは、するタイミングは、お金が貯まったときではなく、時間に余裕ができたときでもなく、行きたいと思ったとき。

この打ちのめされているとき。

このまま仕事を覚えて、賢くなって現状に完全に満足したときに、はたしてバックパッカーをしたいと思うのだろうか。

思わないなら思わないで結構。でもバックパッカーをするなら今がタイミングなのではないのか。

自分とは、なにをして生きていくのか、という疑問が生じている今。

絶っ対に人生について問うている今いくべきなんだ。

そういえば

とある理由があり、国試の勉強をし直している。

そこで面白い話を思い出した。

生まれてくる赤ちゃんは男と女、どちらが多いと思います?

5:5だと思うでしょ?

違うんですよ、それが

男児:女児=105:100 で男児が5%も多いんです。

世界を見ても、比率は違えど男児の出生数が大きいです。

理由としては医学の進歩により男児の死産が減ったそうです。男児の方が死産が多いみたいですね。男児に優位な先天的疾患があるんでしょうか←興味ないから調べないw

でも100年前でも4%も男児が多く生まれているんですよ。

学生時代に聞いた話では、男性の死亡率が高いからだそうです。

戦争は言わずもがな、男性はストレスに弱く女性より容易に死んでしまうそうです。

実際、自殺率は日本も世界も男性が明らかに多いです。

それを見越して人類は男児を多く出産しているってことですよね。

すごくないですか?それをするなら(全体数を把握するなら)、個々人がなんらかの方法でつながっているってことなんでしょうか。

もしそうなら、男性しかいない環境で育ったカップルからは女児が多く生まれるんですかね。宇宙でも地球の男女比が影響するんでしょうか。そういう研究をしてみたい(笑)

ちなみに、性別は男性が決めます。

ですので旦那が「女の子がほしい」などと言い出したら、あんた次第や。とつぶやいてください、心の中で。

 

もう一つ面白い話があって、どの教科書でみたか忘れたけど、慢性的な高血糖(糖尿病)に対する受容体が大昔から僕らの体にはあるって話。

どういうことかと言うと、糖尿病って別名を贅沢病(Ⅰ型などを除いて)といって、過度な食事や運動不足が原因で発症します。

でも、いまでこそ糖尿病って一般的な病気になったけど、人類の歴史の大半は過度な食事や運動不足とは対極の生活をしてきたわけじゃないですか。

なのに糖尿病に対する用意があるってことが興味深かったです。

 

以上。おわり。おやすみ